top of page

続・アドラー心理学で考える「性格」とは

更新日:2020年7月9日

 今日は前回に引き続き、アドラー心理学で考える「性格」=「ライフスタイル」についてさらに別の考察をしてみたいと思います。前回のブログはこちらをご覧ください。


 

 ライフスタイルは、まだ幼くて弱い子どもが、大人だらけの社会で生き抜くための(こうすればうまくいく)という戦略でした。これは言い換えるならば、「子どもが劣等感を感じないようなポジション」を獲得するための方法であり、運動です。


 

 子どもは動きながら(つまり経験から)この戦略を選び取るわけですが、この戦略はやがて「信念」として無意識下に定着していきます。それはアドラーの言葉を借りるならば、『自分では理解もしていないし説明もできないが、自分がいつもしっかり守っている運動の法則』ということになります。


 

 この法則は、子ども(人)によってそれぞれ異なるわけですが、言語化することができます。いわば「プログラム」のようなものだと考えてください。私はこのプログラムを便宜的に「ライフプラン」と呼んでいます。ライフスタイルは「動的な」ものなので、このライフプランという「静的に書き込まれた」プログラムを実行している状態であると考えることができます。



ree


 

 このプログラムは、「自己概念」「世界像」「自己理想」の3つの概念で言語化することができます。この考え方は今は亡き世界的アドレリアン、ハロルド・モサック 博士が提唱したと言われています。

 

 

 まずは「自己概念」ですが、これは自分自身についての価値判断です。例えば私は弱いとか、私は女らしいとか、あるいは私は賢いとか、無能だとか、そのような自分に対する自己評価を「自己概念」と呼んでいます。


 

 それから「世界像」というのは、自分をとりまく「周りの人々や、世界に対する認識」です。例えば、周りの人々は私に敵意をもっているとか、あるいは世界は危険に満ち溢れているとか、あるいはもっと限定的に、年上の男性は私に優しいとか。あくまでもその人の主観的な世界に対する認識を「世界像」と呼んでいます。

 

 

 最後に「自己理想」ですが、これは自己概念と世界像を受けて、それゆえに自分が「どうあるべきか?」という問いであって、これが「仮想的目標」につながる部分です。(アドラー心理学はよく「目的論」を採用していると言われますが、この「自己理想」がその人の目的につながる部分であると考えられます。この目的論についてはまた別の機会に詳しくお話ししますね)例えば、私は失敗してはいけないとか、あるいは私は人を支配するべきだとか、あるいは私は常に中心的存在でいるべきだとか、自己理想というのはいわゆる理想というよりも、「~でなければならない」とか「~であるべきだ」、つまり英語でいうshould mustで表現できるような自分の行動を縛る、拘束服のような信念であることにご注意ください。



このプログラムは、三段論法で文章化できます。

例えば、私は弱く(自己概念)、世界は危険に満ち溢れているので(世界像)、私は誰かに守ってもらわなければならない(自己理想)のような感じです。



本人にその自覚はないかもしれませんが、この法則は人生のあらゆる場面に適応され、いわばその人を縛る信念体系として心の中に書き込まれています。我々はそのプログラムに従って行動し、運動することで、劣等感を補償しようとしている。これがアドラー心理学で考える性格=ライフスタイルなのです。


 
 
 

コメント


©  Shohei Suzuki

bottom of page