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アドラ心理学と、瞑想の繋がり

更新日:2021年4月8日

またまた瞑想について書いてみたいと思います。



瞑想状態に入ると、思考や感情と、自分との間に、隙間ができるので、自分が感じることができるのは「感情」ではなくて、五感レベルで感知できる「感覚」だけだと、野田先生は言います。


そう、今ここでは、人は何も考えることできなくなるので、そこには全く、何の問題もなくなるわけです。そうすると、何が起こるかというとですね、目標追求がストップすると野田先生は言うのです。



「今ここ」では劣等感すらなくなってしまうので、目標追求が(まあ一時的にとはいえ)キャンセルされるわけです。


目標追求がなくなれば、理論上ライフスタイルは働かなくなりますから、人は、幼い頃に作り上げたその信念から解放されて、より自由な生き方・選択が可能になるんだと、野田先生は言うわけです。


ちなみに(「サピエンス全史」の著者)、ユバル・ノア・ハラリは、毎日欠かさず瞑想を2時間行い、毎年一回、1ヶ月から2か月は瞑想修行に出かけるんだそうです。そして、この瞑想の実践による集中力と明晰さがなければ、『サピエンス全史』も『ホモデウス』も書けなかっただろうと言ってます。


恐縮ながら私も、ハラリにあやかって朝・晩と10分ずつ、毎日瞑想を行っているんですが、なぜか邪念ばかりが出てきてですね、いわゆるマインドフルな瞑想ではなくて「迷って走る」ほうの、迷走を毎日繰り返しております(笑)


しかし、私はこれをしばらく続けてみたいと思ってるんです。というのは、野田先生がですね、瞑想は「共同体感覚」を目覚めさせる効果があると、言ってるからなんです。



グループと瞑想の中で、野田先生はこんなふうに言ってます。「アドラー自身は瞑想ということを知らなかった。だから、オーソドックスなアドラー心理学では瞑想の話は出てこない。でも、アドラーが言おうとしていた共同体感覚というのは、きっと瞑想状態のことなんだ」と。



いかがですか?この考え方をそのまま採用するのは、私もどうかと思ってますし、やはり検証が必要かと思ってます。でも、今後のアドラー心理学の一つの可能性としてですね、「今ここ」=「共同体感覚」という考え方には、どこか惹かれるものがあるんですよね。



鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)




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