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私たちは仮想の世界に生きている②-仮想から抜け出すための『瞑想』-

 前回のブログで、我々人間は幼い頃に自ら作り上げた性格(ライフスタイル)によって、まるで色メガネをかけて世界を見ているような、いわば「仮想世界」に生きているのだということを書きました。それは言い換えるならば、「私は〇〇であるべきだ」という仮想的目標に縛られた世界であり、この目標によって我々は「ありのままの世界=現実」を見れないということでもあります。


 

 しかし、「ありのままの現実」を見定めるために、この仮想世界から抜け出すためにできることが一つだけあります。それは近ごろ注目を集めている「マインドフルネス」、つまり「瞑想」状態を作り出すことであり、もっと言ってしまうと、「瞑想的」な生活を送ることにその答えがあります。


 「瞑想」には、「目標追求をストップさせる効果がある」と、アドラー心理学では考えているからです。


 目標の追求は、幼い頃に抱えた「劣等感」によって始まります。例えば、幼い頃の経験から「私には能力がなく、世界は私を常に試している」という信念を持った子どもがいたとしましょう。(実際にはこんなふうに言語化されたものではなく、感覚によって未熟に解釈されるので、子どもはこの信念を無意識下に定着させることになります)この劣等感をともなう信念を、子どもは「私は〇〇であるべきだ」という目標によって埋め合わせようとするのです。ここでは仮に、「私は難しいことは避けるべきだ」という目標を立てたとしましょう。(もちろんこれも、無意識に作られるものですが)


 つまり「私には能力がなく、世界は私を常に試しているので、私は難しいことは避けるべきだ」というのがこの子の仮想世界であり、劣等感を補償する「人生の物語」になります。


 私には能力がなく、世界は私を常に試しているので、私は難しいことは避けるべきだ。


 ライフスタイル(性格)とは、この信念と目標によって作られた仮想世界をなぞる生き方であり、それは虚構の物語を生きることで繰り返される「人生のパターン」のことです。つまりアドラー心理学で考える「性格」とは、(仮想の)信念と、その目標を追求することで作られる「パターン化された行動様式」のことを言うのです。


 話を戻しましょう。「瞑想」には目標追求をストップさせる効果があるといいましたが、それは「瞑想(状態)」に入ると、「過去」や「未来」に対する思考や感情がなくなり、「今ここ」という感覚しかなくなるからです。


 日本のアドラー心理学のパイオニアでもある野田俊作先生は次のように言っています。

【我々は、思考や感情イコール自分だと思っていることが多いのですが、それは違う。思考や感情は、本当は意識の対象であって、外の世界と同じように、我々の外側にあるものだ。だから、意識が「今ここ」に目覚めていると、思考や感情に巻き込まれないで、それからちょっと離れて見てみることができるようになる。『アドラー心理学を語る2 グループと瞑想』(創元社)99頁』】

 

 例えば、「不安」と「憂うつ」という感情は思考と深い関わりがあると、野田先生は言います。つまり、過去の反省(という思考)にともなう陰性感情が「憂うつ」であり、未来の計画(という思考)にともなう陰性感情が「不安」であるというのです。


 しかし「瞑想(状態)」に入ると「過去」や「未来」に対する思考がなくなるので、同時に感情も消失し、「今ここ」の感覚(それはいわゆる五感で感知できるレベルの感覚)しかなくなります。


 つまり、「今ここ」「今この瞬間」では、我々は思考することができないので、それに伴う「感情」もなくなってしまうということなのです。結果的に、我々の目標追求は遮断されることになります。なぜかというと、「今ここ」では「劣等感」という感情も消失してしまうからです。


 【瞑想すると目標追求が一時的にせよストップします。目標がなくなると、劣等感がなくなる。劣等感とは、理想と現実のギャップのことです。劣等感とは、他人とくらべて自分が劣っているという感じではなくて、理想の自分とくらべて現実の自分が劣っているという感じのことです。『アドラー心理学を語る2 グループと瞑想』(創元社)131頁』】

 

 そう、人は劣等感があるから「こうあるべき」という理想=「目標」を作り出すのであり、それは逆に考えるならば、「目標」があるから現在の自分とのギャップに劣等感を感じるのです。


 つまり人は、瞑想を行うことで「劣等感」と「それを補償する目標」から解放され、自ら作り上げた「仮想世界」から抜け出すことができるのです。

 ちなみに私は、現在「朝」と「夜」にそれぞれ10分ずつの瞑想を行っています。瞑想といっても難しいものではなくて、ただ座って、呼吸に意識を集中させるだけです。うまく「瞑想状態」に入れる時もあれば、様々な思考が飛び交っていわゆる「迷走状態」になってしまうこともよくあります。



 しかしうまくいった時には、なんとなく体と心が整ったような感じがするのは、かれこれ3ヶ月近く続けているので、たぶん気のせいではないと思っています。ちなみに瞑想的な生活を送ろうとすると、これはなかなかハードルが高いような気がしています。

鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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