続・「劣等感」について
- 鈴木昇平

- 2020年3月18日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年3月19日
前回のブログで、劣等感はあくまでも主観的な感覚なのだということをお話ししましたが、今日はその続きです。劣等感は「自分が人よりも劣っている」という感覚のことですが、この感覚はいったいどこから来ているのでしょうか。
みなさんが劣等感を感じる時ってどんな時でしょうか?私の話をしましょう。私が最近劣等感を感じたのは、仲間とアドラーの書いた原著を英語で読んでいた時のことです。私は月に1回、ZOOMというアプリを使って仲間とビデオ読書会をやっています。毎回1章ずつ各自が英文を読み込み、感想や印象に残った箇所などをGoogleの共有ツールに書き込んで、それをみんなで話し合うみたいなことをやっているわけです。前回の読書会で私は、自分よりも英文をしっかり読み込み、アドラーの考えを自分以上に深く理解している仲間の感想を聞くにつけ、劣等感を感じたのです。つまりその人(仲間)と比べて、私は劣っているという感情をもったわけです。
しかし世の中には、私以上に英語に堪能な人は山ほどいるし、アドラー心理学に詳しい人だってたくさんいます。それこそ私の仲間以上に英語が読めて、アドラー心理学に造詣の深い人はたくさんいるのに、私はそのような人たちには劣等感を感じることはない。なぜその仲間に対してだけ、私は劣等感を感じたのでしょうか?
実はここに劣等感の謎を解くカギがあります。結論から言ってしまうと、私は仲間(その人)に劣等感を感じていたわけではないのです。私の劣等感は、「もっと英文をきちんと読んでおけば、アドラーの考えをより深く理解できていたかもしれない自分」を、その仲間の内に見出していたことから出ています。
つまり劣等感とは、自分と他者を比較して「自分は劣っている」と感じることではなく、「理想の自分」と「現在の自分」を比較して、「現在の自分は理想の自分よりも劣っている」という感覚なのです。私は仲間の中に「理想の自分」を見出し、その理想の自分と現在の自分を比較して劣等感を感じていたわけです。
「理想の自分」のことを、アドラー心理学では「自己理想」と呼ぶことがあります。自己理想については過去のブログ『続・アドラー心理学で考える「性格」とは』をご参照ください。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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