勇気は「他者」のために使われる
- 鈴木昇平

- 2020年4月13日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年4月14日
勇気とは、困難を克服するためのエネルギーです。困難とは社会的な文脈からもたらされる困難であり、それは別の言い方をすれば、今「直面している課題」です。アドラー心理学ではそれを「人生の課題(ライフタスク)」と呼んでおり、主に3つあると考えています☞続・アドラー心理学で考える『人生の課題』とは
勇気は、この人生の3つの課題(「仕事の課題」・「交友の課題」・「愛の課題」)からもたらされる困難を克服するための活力です。アドラーは次のように言っています。
「失敗と困難は努力と技術を増す刺激でしかない。この人は自分を哀れんだりしないし、特別の配慮をされることも求めないだろう。この人は自分ではなく、人生の課題のことに専念するだろう。」
そう、失敗や困難を克服するために試されているのが勇気です。勇気のある人は、アドラーの言うように「自分」ではなく「3つの課題」を解決することに専念します。3つの課題は全て、社会的文脈における「対人関係」の課題です。つまり勇気とは、自分ではなく「他者のために使われるエネルギー」なのです。
「勇気」と「蛮勇」は違います。なぜなら蛮勇は、「自分の力を証明するために使われる」偽りの勇気だからです。アドラーは蛮勇について次のような例を引いています。
「時には、非常に臆病な子どもが、ある状況においては英雄に見えるということがあるかもしれない。これは故意に一番を取ろうとする時に起こる。このことは、泳ぎ方を知らなかった少年のケースにはっきりと示される。
ある日、彼は誘われて他の少年と泳ぎに行った。水は大変深かったので、泳げなかったこの少年は危うく溺れるところだった。このようなことは、もちろん、真の勇気ではなく、人生の有用でない面にあるものである。少年は、ただ賞賛されたいがためにだけ(泳げないのに)泳ごうとした。彼は自分が陥っている危険を無視した。そして、他の人が救ってくれるだろうと期待したのである。 個人心理学講義(アルテ)86頁」
この例のポイント(偽りの勇気であることの理由は)3つあります。一つは「自分が臆病でないことを証明する」ために水に入ったこと。二つ目は彼が「おぼれるという危険を無視した」こと。そして三つ目が「他の人が救ってくれるだろうと期待した」ことです。そう、これはアドラーが指摘するように、「人生の有用でない面(useless side)」で発揮された偽りの勇気なのです。
真の勇気とは、個人が「対人関係」を伴う課題を克服するために使われるエネルギーのことです。そういう意味では、勇気に証明はいらないのです。勇気は「共同体感覚」と密接な関係を持っています。自分のためではなく他者のために使われるエネルギー、それが勇気だからです。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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