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伊藤亜紗著『記憶する体』とライフスタイルの原型

更新日:2020年6月15日

 伊藤亜紗さんが書かれた『記憶する体』(春秋社)を読み終えました。


 

 この本の感想を一言で表すのは難しいのですが、私にとっては「自分の体の中に他者を見出すような感覚にさせられる」そんな本でした。

 

 

 この本の帯にも書いてあるように、『障害を持っている方と関わっていると、「この人の体は一つなんだろうか?」と思うことがあります。物理的には一つなのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。』


 

 この本は、先天的障害(生まれついての障害)や中途障害(病気や事故などによる障害)をもつ方にインタビューし、彼らが感じている感覚や独特な言葉を、著者特有の感性で緻密に分析し、言語化した本です。例えば、幻肢痛と呼ばれる症状があります。

 

 幻肢とは、手や足などの体の一部を切断した人や麻痺のある人(いわゆる中途障害の人)が、切断したり麻痺して感じないはずの手や足を、あたかも存在するかのように感じ、そこに激しい痛みを感じる症状です。


 

 『幻肢痛は、自分の物理的な体に、もうひとつの体がとりついている状態であり、まさに体の記憶にかかわる現象』だと著者は言います。


 

 そう、この本のキーワードは「記憶」なのです。


 

 アドラー心理学には「早期回想分析」という技法がありますが、これは幼い頃の記憶からその人が作り上げた「仮想の目標(信念)」をあぶり出し、ライフスタイルと呼ばれる行動のパターン(癖)を読み取ることで、それをカウンセリングに応用するというものです。


 

 ライフスタイルを、その人の行動を縛る拘束服のような存在であると考えるならば、幻肢もまさにその人の信念(こうあるべき・こう動くべき)という記憶が作りあげたもう一人の自分に縛られている状態なのではないかと私は思ったのです。


 

 そして、その状態を「自分の体にもうひとつの体がとりついている」と著者は言いますが、もしかしたらこれは、障害のある方だけの問題ではないかもしれないと思ったのです。なぜなら、人はみなライフスタイルというもう一人の自分(他者)を心に飼っているからです。


 

 アドラーは『ライフスタイルの「原型」は、自分の関心にしたがって独自の方法で突き進む動物のようだ』と言いました。(なぜ心は病むのか)



 まさにこの「原型」という動物とどう折り合いをつけていくのかが問題なのであり、これは「幼い頃に作り上げた記憶という他者」なのかもしれないということ。


 

『記憶する体』を読みながら、そんなことを考えたのでした。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)








 
 
 

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©  Shohei Suzuki

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