フロイトの「要素還元論」とアドラーの「全体論」
- 鈴木昇平

- 2020年3月30日
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今日はアドラー心理学の「全体論」という考え方についてお話ししたいと思います。アドラーがこの考え方を採用した背景としては、医者としての研修を積んでいた頃の影響が大きいのではないかと私は考えています。昨日のブログ『アドラーという一人の医者』も一緒にご参照ください。
アドラー心理学の「全体論」は、それを単体で考えるよりもフロイト(ジグムント・フロイト)の考え方と対比して説明したほうが分かりやすいと言えます。フロイトはアドラーよりも有名なので詳しい説明は省きますが、気になる方はこちらをご覧ください。フロイトとアドラーが共同研究者として、約10年もの間一緒に同じ学会(精神分析学会)の運営にたずさわっていたことはあまりにも有名です。(ちなみにこの学会にはあのカール・ユングもいました)
そう、やはりフロイトは偉大な心理学者であったと私は思っています。臨床心理学という分野を切り開いたのはまぎれもなく彼ですし、アドラーやユングといった高名な学者が在籍する学会を統率していたのも彼です。そして「無意識」の発見。これはフロイトの偉大な功績でした。20世紀の三大発明と呼ばれている3つの理論がありますが、それはダーウィンの進化論、アインシュタインの相対性理論、そしてフロイトの「無意識の発見」なのです。
それまでの心理学には「無意識」なんていう概念はなかったわけですから、それを取り入れたフロイトはやっぱり「すごい」と言わざるをえません。
最終的にアドラーがフロイトから離れた理由は決して単純なものではなく、色々なものが複合的に絡まっていたのではないかと言われていますし、私もそう思います。しかし、そうは言っても二人とも学者ですから、やはり「心理学的理論の違い」というのが一番大きかったのではないでしょうか。
それは、フロイトが発見した「無意識」の扱い方の違いでした。フロイトは意識と無意識は対立すると考えていました。「自我」・「超自我」・「エス」のように、人間の心というものは分割できて、常に葛藤があるとフロイトは考えていました。つまり人間は(相反する)部分の寄せ集めであるというのがフロイトの考え方なのです。
それに対してアドラーは、意識と無意識は対立などしていない。「意識と無意識は協力して(たった一つの)目標を追求しているんだ」と考えました。つまり人間の心の中に葛藤なんてないんだと。人間は分割できない全体的な存在なんだというのが、アドラーの主張だったのです。
フロイトのように、人間は部分の寄せ集めであるというような考え方を一般的に「要素還元論」と呼んでいます。逆に、アドラーの唱えた「人間は分割できない統一された存在である」という考え方を「全体論」と言います。ちなみに、全体論は「目的論」と一緒に考える必要があります。次回はもう少し具体的に、アドラーの「全体論」を見ていきたいと思います。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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