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ニーバーの祈りとアドラー心理学

更新日:2020年6月11日

神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。


変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。


そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。



 これはラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者・倫理学者)が唱えたとされる

祈りの言葉で、「ニーバーの祈り」と呼ばれています。



 この言葉には、アドラー心理学のエッセンスが込められているとも言われており、

『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の中でも引用されています。



変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気


変えることのできるないものについて、それを受け入れるだけの冷静さ


については、アドラー心理学の理論の一つである「自己決定生」につながる考え方である

と私は解釈しています。




 自己決定性とは、人間として生まれてきた以上変えることのできない「遺伝」や「環境」を受け入れながらも、その上で「どのように生きるか」は自分に決定権があるという考え方です。



 例えば生まれつき病弱であったり(遺伝)、家が貧しかったり(環境)といった要因は

多かれ少なかれその人の人生に影響を与えるでしょう。


 しかし、その人の人生を決定する「決定因」ではないよという考え方です。


 遺伝や環境といった影響因を引き受けながらも、「自らの人生を選び取るのは自分自身である」というポジティブで楽観主義的な考え方をアドラー心理学では採用しているのです。




 つまり、変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さをもち、

その上で自ら変えることのできるものについては(多少のリスクを冒してでも)変えるだけの勇気を持つこと。


 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵が必要であると。私はこの知恵こそが、アドラーが「共同体感覚の尺度である」とも言ったコモンセンス(common sense)であると考えています。




 コモンセンスとは直訳すると共通感覚とか良識と訳されますが、アドラー心理学では「私的論理=プライベートロジック(private logic)」の対義語として考えます。


 知恵とは、もともと『空など仏教真理即して正しく物事認識判断する能力』のことであり、『これによって執着愛憎などの煩悩ぼんのう)を消滅させることができる』と言われているものです。



 この定義を採用するならば、知恵とはたった一人の「個人」の感覚や論理から作られるものではなく、「個人=自分」に対する執着から離れたところにある、言い換えるならば個人の集積である「社会」によって作られた集合知性(the pooled intelligence)のことではなかろうかと考えています。



 コモンセンスに関しては、また別の機会にたっぷり語りたいと思います。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



 
 
 

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