ニーバーの祈りとアドラー心理学
- 鈴木昇平

- 2020年3月2日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年6月11日
神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
これはラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者・倫理学者)が唱えたとされる
祈りの言葉で、「ニーバーの祈り」と呼ばれています。
この言葉には、アドラー心理学のエッセンスが込められているとも言われており、
『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の中でも引用されています。
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気と
変えることのできるないものについて、それを受け入れるだけの冷静さ
については、アドラー心理学の理論の一つである「自己決定生」につながる考え方である
と私は解釈しています。
自己決定性とは、人間として生まれてきた以上変えることのできない「遺伝」や「環境」を受け入れながらも、その上で「どのように生きるか」は自分に決定権があるという考え方です。
例えば生まれつき病弱であったり(遺伝)、家が貧しかったり(環境)といった要因は
多かれ少なかれその人の人生に影響を与えるでしょう。
しかし、その人の人生を決定する「決定因」ではないよという考え方です。
遺伝や環境といった影響因を引き受けながらも、「自らの人生を選び取るのは自分自身である」というポジティブで楽観主義的な考え方をアドラー心理学では採用しているのです。
つまり、変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さをもち、
その上で自ら変えることのできるものについては(多少のリスクを冒してでも)変えるだけの勇気を持つこと。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵が必要であると。私はこの知恵こそが、アドラーが「共同体感覚の尺度である」とも言ったコモンセンス(common sense)であると考えています。
コモンセンスとは直訳すると共通感覚とか良識と訳されますが、アドラー心理学では「私的論理=プライベートロジック(private logic)」の対義語として考えます。
この定義を採用するならば、知恵とはたった一人の「個人」の感覚や論理から作られるものではなく、「個人=自分」に対する執着から離れたところにある、言い換えるならば個人の集積である「社会」によって作られた集合知性(the pooled intelligence)のことではなかろうかと考えています。
コモンセンスに関しては、また別の機会にたっぷり語りたいと思います。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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