アドラー心理学は「社会心理学」でもある
- 鈴木昇平

- 2020年4月3日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年5月17日
アドラー心理学の正式名称が「個人心理学」であるということはこれまでのブログで何度か述べてきました。それは個人を意味するindividualにはnot dividualつまり「分割できない」という意味があることから、これがアドラー心理学の「全体論」という考え方につながっていること。そしてアドラーは個人を「これ以上分割できない統一された存在である」と定義したわけです。このあたりのことはアドラー心理学の全体論をご参照ください。
そんなアドラーが創設した個人心理学ですが、実は個人心理学では「社会」という概念をものすごく重視します。意外だと思われますよね?だって「個人」と「社会」はある意味反対の概念ですから。でもアドラーは「個人心理学は、実際のところは社会心理学なのだ」と言っているのです。
どういうことかというと、これはフロイト(ジグムント・フロイト)の「要素還元論」と比較して考えれば至極真っ当な言い分だということが分かります。
フロイトは人間の心を3つに分割して考えました。局所論と呼ばれるモデルでは「意識・無意識・全意識」に分けていたし、その後に出てきた「構造論モデル」でも「エス・自我・超自我」の3つに分けて考えています。つまりフロイトは人間の心を「心の内部」に(心A・心B・心C)との関係性で理解しようとしたわけです。ここまではいいですね。
それに対してアドラーは、人間の心を分割しません。個人はそれ以上分割できない統一された存在ですから、分けることのできない「丸ごとの個人」と「その外側にある社会」との関係性で心のあり方を探ろうとしたわけです。アドラーはこんな言葉を残しています。

『個人の人生を統一されたものと見なすのに加えて、その人生を社会的な文脈と関連づけて考えねばならない』
つまり社会は、個人の外側に(常に)存在するものであって、「個人は社会的文脈の中において(心の)態度決定をせまられる」とアドラー考えたのです。そう、フロイトのような心の三分割(心の内部の葛藤)のような構図ではないのです。それゆえにアドラーは社会との関係性を重視し、個人は「社会に埋め込まれた存在である」と考えました。この考え方をアドラー心理学では「社会統合論」と呼んでいます。
アドラー心理学は「社会心理学」でもあるというのはそういう意味です。次回のブログでは「個人」と「社会」との関係性をもう少し具体的に見ていきたいと思います。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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