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アドラー心理学の『全体論』

 今日はアドラー心理学の「全体論」と呼ばれる考え方について、もう少し具体的にお話ししたいと思います。前回のブログではフロイトの「要素還元論」と比較しながら説明しているのでこちらも参考にしてみてください。


 さて、アドラー心理学の「全体論」ですが(まず最初に断っておきたいのは)アドラー心理学を理解する上で「全体論」は「目的論」とセットで考えなければならないということです。「目的論」と「全体論」はつながっています。結論から言ってしまうと「たった一つの目的」のために、人は「全体論」的な動き・対応をしていると考えられるのです。順を追って説明していきましょう。


 人は劣等感を感じるとそれに耐えられないと思い、その劣等感を埋め合わせるために行動へと駆り立てられます。これをアドラー心理学では「優越性の追求」と呼んでいますが、結果的に人はその劣等感から逃れるための、極めて個人的な目標を作り上げます。それはその人の劣等感を埋め合わせる「仮想の目標(fictional goal)」であり、その人の「想像力(creativity)」によって作られたものです。この目標に向かう一貫した動き(行動・態度・思考・感情など)をアドラー心理学では「ライフスタイル」と呼び、これが一般的には「性格」と呼ばれているものです。ここまでが「目的論」の考え方です。


*目的論についてもっと詳しく知りたい方は以下のブログをご参照ください。


 このたった一つの(仮想の)目標を達成するために、人は「精神」も「肉体」も、「理性」も「感情」も、そして「意識」も「無意識」も協働して働かせているとアドラー心理学では考えます。以下に、アドラー心理学教科書(ヒューマン・ギルド出版部)より引用します。


『意識と無意識とは、一見矛盾した動きをするように見えても、究極的には、同じ方向に協力して働くものであって、しばしば誤解されているような、本質的に矛盾対立するものではありません。それはちょうど、自動車のアクセルとブレーキのようなもので、たとえ逆向きの作用をしていても、全体として自動車をスムーズに運動させるために相補的に働いてるのです。』


 自動車のアクセルとブレーキという例えが分かりやすいですよね。一見対立するように見える二つの概念は、実は「向かうべき目的地」という意味ではお互いに必要なものであり、それらは相互に補完的に働いていると考えるのがアドラー心理学の「全体論」です。つまり「部分的に見れば対立している」ものでも「全体的に見れば協力し合っているのだ」ということです。それは「たった一つの目的」を軸とした、全体的な関係性なのです。


 ちなみにアドラーは「運動のみを信じよ」と言いました。そう、言葉はしばしば嘘をつく。つまり「言い訳」に使われるからです。


 例えば、お酒を医者からひかえるように言われている人が「体にはよくないと分かってたんだけど、ついつい飲んじゃってね」と言ったとします。この言い方は「意識では分かってるんだけど」「無意識のやつが俺に酒を呑ませたんだ」みたいにも聞こえますよね。でもその人はただお酒を飲みたかっただけです。お酒を飲んで気持ちよくなることが目的だったのです。

 それからこういう人もいませんか?「怒っちゃいけないと頭では分かってたんだけど、ついカッとなって怒鳴り散らっしゃったんだよね」と言う人。まるで理性では「抑えなくてはいけない」と分かっていたんだけど、感情が暴走してしまってそれを止められなかったんだよねと、言っているかのようですよね。こういうケースの場合、アドラー心理学では、ある目的のために感情を使ったなと考えます。つまり怒鳴り散らすことで、「相手に謝らせたい」とか、あるいは「相手に言うことを聞かせたい」とか、そのような目的のために感情を使ったなと考えるのです。


 そう、アドラー心理学では「行動が全てである」と考えます。だから言い訳ができないのです(笑)このように、「目的論」と「全体論」をセットで考えるアドラー心理学ですが、その正式名称は「個人心理学」と言います。個人心理学を意味するIndividual Psycologyのindividualには個人という意味の他に、not dividual(分割できない)というもう一つの意味が込められています。つまり人間は「理性とか感情」とか「意識とか無意識」などのように部分的に分割できるものではなくて、それらは「一つの目的」という軸で全てつながっている、統一されたものであると考えるのが、アドラー心理学の大前提なのです。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)




 
 
 

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