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アドラー心理学で扱う『目標』とは

 アドラー心理学の「劣等感」や「目的論」についてブログを書いてきましたが、今日はアドラー心理学で扱う「目標」という概念について少し書いてみたいと思います。


 「目標」とは、「標」の字に込められた「しるし」という意味の通り、『ある方向に向かうための「めじるし」』と考えることができます。だから一般的に「目標」は具体的なものであるし、「めじるし」と考えれば(一つではなくて)いくつも存在していいと考えることができます。もし仮に人生を一つの直線(右斜め上に向かう直線)で表すとしたら、目標①をクリアしたら目標②があり、目標②をクリアしたら目標③があり、そして目標③をクリアしたら…というように、目標は「めじるし」としていくつも作ることができますよね。


 しかし、その直線に終わりがあるとしたらどう考えるでしょうか?その線の終点に、最後の目標があると考えることもできますよね。つまり最終目標です。日本のアドラー心理学の第一人者である岩井俊憲先生は、この最終目標を「目的」と呼んでいます。岩井先生は「目標」と「目的」を使い分けて考えられていて、「どこへ?」という具体的な目標に対して、それが行き着く先である最終目標は「何のために?」という抽象的な「目的」であると定義されています。英語であらわすならば、goalとpurposeの違いと言ってもいいかもしれません。


 アドラー心理学で扱う目標は、この「何のために?」を意味する最終目標であり「目的」(purpose)です。そしてこの目標は、あくまでも「虚構」であるということを強調しておきたいと私は思うのです。というのは、アドラー心理学を学んでいる人の中にも、この目標を誤解されている方が意外に多いということに気付いたからです。


 アドラーは『人間知の心理学』(アルテ)の中で、この「虚構の目標」について次のように言っています。


 『われわれは、虚構という意味で、一種の現実的な想像力において、現実には存在しない固定した点に依存している。この仮定が必要なのは、元来、人間の精神生活が不完全だからである』


 アドラーの目的論が想像力とセットになって作られているということは、以前のブログ:アドラー心理学の「目的論」でお話しした通りです。アドラーがここで言っているのは、我々人間の精神生活は不完全で混沌としたものだから、「一つの虚構を作り出すことで(仮の)方向や位置を定めておく必要がある」ということなんです。アドラーは上の文章の後に「子午線」の例を出していて、子午線なんてものは本来は存在しないが、それを仮に定めることで地球上の様々なものを区分することができると言っています。つまり人間は、「虚構の目標」を自ら作り出すことで(仮の)方向を定め、精神のような極めて曖昧なものを計算可能な領域に落とし込み、その価値を測ることができるようにしたと言っているのです。


 少し難しいかもしれませんが、私はこれを読んだ時、アドラーは大変重要な指摘をしてくれていると思いました。今日のお話をまとめると、アドラー心理学で扱う目標はあくまでも「虚構の目標」なのだということ。そしてそれは「実像」ではなく「虚構」であるがゆえの利点をもっているということです。それはものすごくシンプルに言ってしまうと、虚構を信じる(仮定する)ことによって、「本来は測れないものを測れるようにした」ということかもしれませんね。「虚構」は奥が深いです。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)


 

 
 
 

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