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アドラーという一人の医者

更新日:2020年3月30日

 アドラーはウィーン大学医学部では専門的な精神医学の訓練を受けていないと過去のブログで書きましたが(アドラーの『目的論』が生まれた背景)、それはもともとアドラーが「よい医者」になることを目指していたからでした。


 アドラーは4歳の頃に、同じ部屋で寝ていた弟(ルドルフ)が、朝起きると隣のベッドで冷たくなって亡くなっていたという辛い経験をしています(ルドルフは当時は致命的な病気であるジフテリアにかかっていました)そしてアドラー自身も、5歳の時に肺炎にかかって危うく死にかけます。その時のアドラーの回想はこんなものでした。(以下『アドラーの生涯』(金子書房)より)


 『夜になって医師が呼ばれた。アルフレッドはぼんやりと意識を取り戻した。そして自分の上に見知らぬ人が浮かんでいるのを見た。アルフレッドを診て、弱い脈を取った後で医師はレオポルト(父)のほうを向いていった。「もう心を痛めることはありません。この子は助かりません」アルフレッドは死刑の宣告がされたことがよくわかった。とりわけルドルフの不幸な死のすぐ後に起こったことだったからである。』その後、奇跡的に肺炎から回復したアドラーは、その時に「医師になる」ことを決意したといいます。


 アドラーは内科医であるヘルマン・ノスナゲルの影響を受けました。『アドラーの思い出』(創元社)には以下のような記述があります。『ノスナゲルは学生に「もしよい医師になりたいなら、親切な人になりなさい」と教えました。アドラーはこの教え以上に、次のようなノスナゲルの言葉を深く心に刻みました。「医師は患者のことを、他と切り離された臓器、あるいは他と関係をもたない病気としてではなく、常に全体としてみなければなりません。医師は患者に対して情緒的な影響を与えているということを、常に考慮しなければなりません」


 患者を常に全体として見ること。この考え方が「個人は分割することができない、統一された存在である」というアドラー心理学の「全体論」につながったのではないかと私は考えています。次回はこの全体論についてもう少し詳しくお話ししたいと思います。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)


 

 
 
 

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