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『神経症』について

 劣等感(自分が劣っているという感情)は、健康で正常な努力と成長につながる「適度な劣等感」と、目の前の課題から逃げたり避けたりする「劣等コンプレックス」の2つに分かれるとアドラー心理学では考えます。さらに、「劣等コンプレックス」が常習化したものを「神経症」と呼ぶのでした。


 このあたりのことは劣等感には2種類ある「劣等コンプレックス」とはをご覧ください。さて、今日は「神経症」についてです。「劣等コンプレックス」は多かれ少なかれ誰もが持っているものなので特に問題はないのですが、劣等コンプレックスが常習化し、劣等コンプレックスを人生の目標追求の主たる「手段」にしてしまうと、これはこれで大変です。


 私の知り合いにこんな女性がいました。彼女は社内結婚して子どもを産み、会社を退職して専業主婦になりました。子育ての大変な時期が過ぎてひと段落した頃(子どもが幼稚園に通い始めました)、彼女は夕方になるとなぜか頭が痛くなるのです。痛みはかなりひどかったので病院で診てもらいましたが、原因は分かりません。


 頭痛は夕方のほぼ決まった時間に彼女を襲いました。だから夕方になると、彼女はベッドに行き横になりました。その頃は旦那さんが早く帰ってきて夕飯の支度などをしていたそうです。


 彼女の頭痛はいわゆる「不定愁訴」と呼ばれる原因不明の症状や痛みです。しかしアドラー心理学的に分析するならば、これは典型的な「神経症」であることが分かります。彼女は専業主婦になってから、いつもこのように考えていたそうです。「なぜ私ばかりがご飯の支度をしなければならないのだろう?」と。旦那さんは仕事で帰りが遅いことが多く、彼女はしばしば夕飯の支度を二度もしなくてはなりませんでした。


 彼女は会社に勤めていた頃、総合職でバリバリ働くキャリアウーマンでした。彼女は自分が勤めていた頃のことを思い出します。「自分だって社会で活躍できるのに、なぜ今は夕飯の支度ばかりしているのだろう」と。一方で彼女はこのようにも思っていました。「夫はきちんと外で働いてお金を稼いできてくれている。今の自分の仕事は家事・育児なのだ。これは役割分担なのだ」と。「社会復帰を望む気持ち」と「家事・育児をきちんとこなせねばという気持ち」。彼女の心はその狭間でイエス・バットを繰り返しました。そしていよいよ彼女の劣等感が臨界点に達します。


 夕方になると、彼女を頭痛が襲うになりました。これはアドラー心理学的に考えるならば、頭痛という症状を使うことで「夕飯の支度」という課題を避けることに成功したと考えられます。そう、彼女は「頭痛」という症状を自ら作り出すことで(これはもちろん無意識のものです)「夕飯の支度をしない」という目標を達成したのです。、

 

 これが劣等コンプレックスを人生の目標追求の「手段」にしてしまうことであり、アドラー心理学で考える「神経症」です。なぜこのように分析できるかというと、ポイントは3つあります。


 ①子育てが落ち着いた頃に頭痛が発症したこと(子育てに追われている時は彼女に頭痛は必要なかった。あると困るものだからです)、②夕方になると頭痛が出てくること(夕飯を作りたくなかったのです)、③彼女が外で働くようになってから頭痛がピタリと止まったことです(社会復帰を果たし、家事・育児もある程度旦那と分担できるようになったので、もう頭痛は必要なくなったのです)


 「人間は自分で理解している以上のことをわかっている」とアドラーは言いましたが、神経症はまさにそのことを物語っているのかもしれませんね。




鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



 
 
 

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©  Shohei Suzuki

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