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『役に立つ』から『意味がある』へ

更新日:2020年6月15日

 今日は「価値」について考えてみたいと思います。


 「自分自身の価値」、「自分に価値があると思えるかどうか」についての考察です。



先日京都で開催された岸見一郎先生(「嫌われる勇気」の著者)の講演の中で、「有用性というものはそんなに重要ではない』と言われているのを聞いた時は、少しびっくりしました。


 なぜならアドラーは「useful」か「useless」か、つまり「有用であるか有用でないか」の基準で物事を語る傾向が強く、「人は常にuseful side(有用な側)にいなくてはならい」ということを繰り返し述べているからです。


 

 「有用性」とは「人やものにとって役に立つ」ことです。アドラー心理学では「貢献」という考え方を重視します。つまり他者に働きかけることで「誰かの役に立っている」と思える時に、人は自らの「価値」を実感できると考えるのです。



 そのような背景もあったので、アドラーの原著を何冊も翻訳され、アドラーの考え方に誰よりも精通されている岸見先生の口から、まさか「有用性は重要ではない」との言葉が出てくるとは思ってなかっただけに、びっくりしたのだと思います。


 

 しかし、これは誤解でした。岸見先生が伝えたかったのは、「役に立たなければ価値がないのか?」という問いだったのです。


 例えば事故や病気などで寝たきりになり、他者の看病なしには生きることすらできない人たちは(文字通りの意味では)誰かに貢献したり、誰かの役に立っているとは言えないかもしれない。


 

 だからといって、その人には価値がないのか?



 その人の「存在」自体に、その人の「価値」があるとは言えないだろうか?その人の存在そのものに「意味」があるのではではなかろうか?


 つまり価値とは、「役に立つかどうか」ではなく、「意味があるかどうか」なのではないかと、岸見先生は言いたかったのかもしれません。


 


 山口周さんが書かれた『NEW TYPE ニュータイプの時代』という本の中に、コンビニに置かれている商品の棚についての記述があります。コンビニの棚というのは厳密に管理されているので、商品を棚に置いてもらうのは簡単なことではない。だからハサミやホチキスなどの文房具はほとんど1種類しか置かれていない。しかしそんな厳しい管理棚の中でも、200種類以上取り揃えられている商品があると。


 

 それはタバコです。タバコは「役に立たないけど、意味がある」のだと山口さんは言います。マールボロを愛好する人にってはセブンスターは代替可能なものではないし、逆もまた然り。ある銘柄が持つ固有のストーリーや意味は他の銘柄では代替できないのだと。


 

 ハサミやホチキスなどは、役に立つけど意味がない。タバコは役には立たないけど、意味がある。一つひとつの銘柄がもつその多様性に、意味があるわけです。


 

 コンビニの棚から我々が学べるシンプルな事実は、「役に立つものは一つあればいい」ということです。でも、意味のあるものはたくさんあっていい。その多様性にこそ、価値があるからです。それは人間にとっての価値にも、同じことが言えるのかもしれません。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)







 
 
 

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