「病気を治すこと」と、「自己啓発」の間に境界線はない。
- 鈴木昇平

- 2020年5月5日
- 読了時間: 3分
「自己啓発」ということばがあります。自分をより高い次元へと向上させたり、潜在的な能力を引き出したりする考え方です。
『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の影響でしょうか、アドラー心理学はよく「自己啓発の源流」などと呼ばれることがあります。確かに、アドラー心理学の「目的論」的な考え方には、そのような側面が大いにあるといえます。目的論は未来志向でありポジティブ思考なので、それは「自己開発」とか「自己変革」、あるいは「成長」とか「成功」という概念とも相性がいい。
世界的ベストセラーの『人を動かす』や『道は開ける』で有名なデール・カーネギーが、アドラーのことを「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」だと紹介していますが、アドラー心理学には確かに、「潜在的な能力を引き出す」という側面があると私も思っています。
しかし、です。それは、アドラー心理学の一側面であることをここで強調しておきたいのです。アドラーはもともとお医者さんでした。母校のウィーン大学(医学部)では専門的な精神医学は学んでおらず、眼科医や内科医を経て、心理臨床の世界に足を踏み入れています。
つまり何が言いたいのかというと、アドラーはもともと「病んだ体や臓器」を治療するところから自らのキャリアをスタートさせ、その延長線上として「病んだ心・傷ついた心」を癒す方向(心理臨床)へと進んでいった。
さらに、その線を突き進んだところに現れたのが「教育」というテーマで、おそらくこの部分に「自己開発」とか「自己変革」、「成長」や「成功」といったいわゆる「自己啓発」が出てきているということです。
ここで注目すべきは、アドラーの治療法や対応法が、「病気の治療面」に関しても「自己啓発的な教育面」に関しても、そのスタンスが常に変わっていないということです。それはアドラーにしてみれば、全てがライフスタイル(一般的に性格や人格と呼ばれるもの)の問題でしかないのです。
つまり、どこからどこまでが「病気を治すこと」なのか、そしてどこからどこまでを「自己啓発」と呼ぶのか?
その境界線がアドラーにはなかったということです。「病んだ心や傷ついた心を治す」ことと、潜在能力を引き出して「なりたい自分になる」ことは、アドラーにとっては同じことだったのです。
アドラー心理学は「価値」を重視する心理学です。人はみな、「自らの価値がより大きく感じられる」ように、「フェルトマイナスからフェルトプラスに向かって動いている」と考えます。今仮りに「心の病を治して回復する」という行為が、マイナスから0地点までの動きであるとしましょう。そうすると「なりたい自分になる」という行為(自己啓発的な行動)は、0地点からプラスへ向かう動きであると考えられます。

つまりアドラー心理学では、人生のありとあらゆる状況は「たった一つの目的」に向けて、同じライン上で起こっていると考えるのです。そこにあるのは「常に一貫した動き=ライフスタイル」だけであって、何を病気と見て、何を自己啓発と見るかは、どの時点でその人を見るかの違いでしかない。確かに「症状」や「部分」に注目すれば、「病気である」とか「今はがんばっている」などの判断を下すこともできるでしょう。
しかし全体を見渡したならば、それは「病気」でもなければ「がんばっている」わけでもなく、ただその人(個人)の「一貫した動き」があるだけなのです。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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