「感情」は目的のために使われる
- 鈴木昇平

- 2020年7月31日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年4月8日
もっと感情をコントロールできたらいいのにと、思うことはありませんか?
「怒り」・「恐れ」・「悲しみ」などといった情動、「不安」や「憂鬱」などといった陰性感情。それらは自らの意思とは無関係に勝手に沸き起こってくるものなので、我々は感情に対してあまりに無防備であり無力であると、そう思われている方は少なくないかもしれません。
しかしアドラー心理学では、「感情は目的のために使われるもの」と考えます。
日本に初めてアドラー心理学を導入した、日本アドラー心理学会認定指導者の野田俊作先生は次のように言っています。
『感情は対人関係の中で、相手を操作する道具として、ライフスタイルによって無意識につくりだされ使われるに過ぎない。たとえば、怒りがあるとして、その怒りがあるために、どうしようもなく相手を罵ってしまうとか暴力をふるってしまうというようなことは嘘だと思う。あれは相手を罵ったり暴力をふるったりするための口実に怒りを使っているに過ぎない。グループと瞑想(創元社)76~77頁』
そう、「怒り」があるから相手を罵ったり暴力をふるうのではなく、相手を罵ったり暴力をふるうために、「怒り」という手段が使われたとアドラー心理学では考えます。つまり感情とは、その行動を促進するために「使われる」ものなのです。野田先生は次のケースを引き合いに出して、それを証明しています。
『たとえばね、子どもをがみがみ叱っているお母さんがいたとする。心の中は怒りでいっぱいね。そのときに電話がかかってきてね、「はい、野田でございます。いつもお世話になっております」なんて言うとするでしょう。そのときには怒りがないんです。
さて、電話が終わって、また子どもの顔を見ると、怒りでいっぱいになる(笑)。前著78頁』
不思議ですよね。電話の最中に「怒り」はどこへ行ってしまったのでしょうか。
つまりそういうことなのです。子どもを叱るという目的が先にあって、そのために「怒り」という感情が作り出され、使われた。そう考えたほうがずっとつじつまが合うのです。
アドラーは、『人は、自らの行動や態度を感情によって正当化する』と言っています。我々が常に行っていることは、特に感情をともなわなくても行うことができるというのが、アドラーの言い分です。つまり感情とは「行動に付随したもの」に過ぎず、自己を正当化するための道具として使われているだけなのです。
「怒りを抑えきれない」人は、「怒り」という感情に支配されているわけではなく、「怒り」を使って対人関係の問題を解決する、そのような習慣(ライフパターン)を持っている人であると、アドラー心理学では考えます。
そう、全てはライフスタイルの構造上の問題なのです。感情だけが、まるで別の生き物であるかのように暴走しているわけではないという認識を持つことが大切です。
アドラー心理学では、感情はライフスタイルの排泄物のように考えています。感情は、そもそもがコントロールしたりされたりするようなものではないということです。感情によっておおい隠された、その裏にある目的こそが大事なのです。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)
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