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「劣等感」について

アドラー心理学は「劣等感に始まり劣等感に終わる」と言われるくらい、「劣等感」がキーワードとして扱われています。今日はこの劣等感について少しお話ししたいと思います。


 劣等感を理解するにはまず、「劣等性」との違いを理解する必要があります。「劣等感」と「劣等生」、この2つは明確に区別することができます。


 一般に、生活に支障をきたすような欠陥や障害や疾患を「器官劣等性」といいますが、

この「器官劣等生」について、アドラー心理学教科書(ヒューマン・ギルド出版部)には以下のように書かれています。


 『たとえば、盲・弱視・聾・難聴・肢体不自由・知恵遅れなどの先天的ないし後天的な障害や、喘息・アレルギー性皮膚炎・小児腎炎・先天性心臓疾患などの子ども時代の重症ないし慢性疾患など。 前著122頁』


 つまり「(器官)劣等性」とは、実生活を送る上で(明らかに)不利に機能する、(目に見えるような)客観的な属性のことを言うのです。


 これに対して「劣等感」はあくまでも主観的なものです。周りからは「可愛い・綺麗だ」と言われている女性が「自分は醜い」と思い込み、ひどい劣等感にさいなまれていることもあれば、逆に、「(器官)劣等生」があるのにそのことには全く気にせず、劣等感を感じていない人もいます。


 つまり何が言いたいのかというと、「劣等感」と「劣等性」の間には必然的なつながりは全くないということです。「劣等感」は辞書を引くと「自分が人よりも劣っているという感情」のことですが、「その劣っているという感覚」は客観的な事実に基づいたものではなく、あくまでも主観的なものなのです。


 それではこの「人よりも劣っている」という主観的な感情が、いったいどこから来るのか、それは次回のブログでお話ししたいと思います。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)

 
 
 

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