「劣等コンプレックス」とは
- 鈴木昇平

- 2020年3月20日
- 読了時間: 2分
前回は『劣等感は二種類あるよ』というお話しをしましたが、今日はそのやっかいなほう「劣等コンプレックス」についてもう少し詳しく書きたいと思います。(何だがこのブログも連載みたいになってきました。あと50回も書いたら私の1回分の講座くらいにはなってしまうかもしれませんね)
劣等コンプレックスというのは、劣等感(自分が劣っているという感情)が大きくなってしまうことで、目の前の課題から逃げたり避けてしまったりする状態のことです。例えば、毎日5キロのランニングを習慣にしようとしている人がいて、今日は仕事で疲れたからという理由で「走るのはやめておこう」と思ったとしたら、これは小さな(実に小さな)劣等コンプレックスです。
あるいは友達に合コンに誘われたけれども、一緒に参加するメンバーが自分とあまり気が合わない子だちだった(だから楽しくなさそうだ)という理由で、(本当は合コンに行きたいのだが)行かなかったとしたら、これもやはり劣等コンプレックスです。
しかしこれくらいのことは、みなさんにも経験があるのではないでしょうか。つまり「劣等コンプレックス」とはものすごくシンプルな言い方をしてしまうと、「取るべき行動を避けるための言い訳」なのです。変わりたいけど、変われない。一歩踏み出したいけど、踏み出せない。この「けど」が劣等コンプレックスなのです。
ただし、この程度の劣等コンプレックスは特に問題ありません。風邪に例えるならば鼻水が出たり喉が痛いくらいの症状で、「勇気」というサプリメントですぐに症状を緩和することができます。(勇気もアドラー心理学の重要なキーワードですが、これついてはまた後日)
問題なのは、この劣等コンプレックスが常習化してしまうことです。たいていの人は、劣等コンプレックスを時々使いますが(疲れていたり気が進まなかったりしたら、弱さを言い訳に課題を避けることは誰にでもあります)、劣等コンプレックスが常習化してくると、劣等コンプレックスを「人生の主たる手段」として使うようになります。つまり「目標」が、入れ替わってしまうのです。
ここまでいくと、風邪のウィルスは鼻や喉を通過し、肺にまで達してしまっている状態だといえます。そう、肺炎です。常習化した劣等コンプレックスを、アドラー心理学では「神経症」と呼びます。次回はこの心の肺炎、「神経症」についてお話ししたいと思います。
鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



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