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「人生の課題」と「神経症」の関係性

 アドラー心理学では、人生には避けることのできない3つの課題があると考えます。それは「仕事の課題」「交友の課題」「愛の課題」の3つで、これらは「ライフタスク(人生の課題)」と呼ばれています。ライフタスクについて詳しく知りたい方はこちらをご参照ください。


 「仕事の課題」「交友の課題」「愛の課題」は、どれか一つを集中してこなせばいいというわけではなく、偏りなく、バランスよくこなさなければならないとアドラー心理学では考えます。


 例えば、現代は「仕事の課題」が重視される傾向があり、お金や地位や名声などを得ることが成功者として称えられることが多い世の中です。しかし「仕事の課題」ばかりに集中して取り組み、「交友の課題」や「愛の課題」をおろそかにしている場合は、アドラー心理学では「人生の調和を乱している」と考えます。それは単なるワークホリックであり、別の言い方をするならば「神経症」ということになります。


 人は「劣等感」から抜け出すために、誰もが「優越性の追求をしている」というのがアドラー心理学の前提です。しかしこの優越性が「自分のための」優越ということになると、話が変わってきます。アドラーは次のように言っています。


「個人の優越という目標があると、現実へのアプローチは妨げられます・・・個人の優越という目標があると、人生の3つの課題のうち一つだけがクローズアップされます。成功の理想が、社会での評判か、仕事での成功か、性による征服のどれかに不自然に限定されるのです。そのため、社会での名声を求める人が好戦的で嫉妬深かったり、大事業家が他者を犠牲にして自分の利益を増やしていたり、浮気性の人がドン・ファン願望を抱いたりする様子が見られます。こうした人はみんな、人生で求められる多くのことを果たさずに人生の調和を崩します。そして、限られた行動範囲内をいっそう必死に突き進んで埋め合わせを行おうとします。」


 「限られた行動範囲内をいっそう必死に突き進んで埋め合わせを行おうとする」というのは、「自らの劣等感」をいわゆる一つだけの課題に対して、過剰に補償することを意味します(過補償)。3つのうち一つの課題だけがクローズアップされ(過補償される)状況を、アドラー心理学では「神経症」と考えます。(神経症は「病的」な状況ではなありますが、病気であるとは考えません)ちなみに、3つの課題全てに取り組もうとせずに避けている状況を「精神病」とアドラー心理学では考えています。いわゆる「統合失調症」などはこの領域であるとアドラーは言っているわけですが、ここにどのようなエビデンスがあるのかは分かりません。


 ただ、「統合失調症」などは精神医学においても確かなエビデンスはないそうなので、アドラーの考え方(理論)や着眼点は大変興味深いものがあります。


鈴木昇平(アドラー・カウンセラー)



 
 
 

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